当工業会は、川越狭山工業団地に誘致された企業68社の相互親睦と外部連絡窓口として発足された「川越狭山工業団地懇話会」を前身とし、今日に至っています。
会の名称を「川越狭山工業会」に変更してからは、事務局の設置、地域社会との共存、行政との連携強化、財務の充実に努めてきました。時代や環境の変化に柔軟に対応しながら、会員と地域社会に真に貢献できる工業会を目指しています。
- 昭和30年代中頃、首都圏の急激な人口増加により、交通渋滞など様々な社会問題が発生したため、国は首都圏整備法により東京23区を「規制市街地」と定め、工場の増築や学校の建設を規制したことにより郊外へのニーズが高まりました。これを受け、日本住宅公団は首都圏整備法に基づき、川越市と狭山市の協力を得て約248万平方メートルを区画整理し開発、当時としては珍しい住宅と工場一体型の日本一の「住宅工業団地」が完成しました。
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当工業団地は東京都心より35キロメートル、川越市の南西、狭山市の北東に位置し北に一級河川の入間川の清流、南は武蔵野丘陵に連なる大変素晴らしい自然環境の中に立地しています。近年では地盤の強固なことや天候が安定していること、更には圏央道や東京狭山線の開通など交通アクセスが非常に高まったことにより、ますます好立地な状況となっています。
- 国道16号線沿いに東西4キロメートル、南北1キロメートル、地形はほぼ長方形で、工場地区は158万平方メートル、また、東側・西側それぞれにおよそ47万平方メートルの住宅地が共存しています。道路は整備され、工業団地内を縦横に走り、団地中央には広さ2万7千平方メートルを誇る新狭山公園があります。
同公園は野球グランド、テニスコートが設置され、緑豊かな恵まれた施設となっています。工業団地の中央を西武新宿線が走り、南大塚駅・新狭山駅の2駅を擁しています。また、関越自動車道川越IC、圏央道狭山日高ICも近接し、郊外でありながら交通の便にも非常に恵まれています。